ゴジラ最新作「ゴジラマイナスワン」を11/12観てきました。結論から申し上げると、ゴジラ歴代作品最高の出来。まさか怪獣映画で涙を流すなんて・・・
初速でシン・ゴジラの興行成績を上回ったのも納得の出来。そしてゴジラファン以外の方にも是非見ていただきたい作品だ。
今回は、
- ゴジラシリーズ全30作品+ハイウッド版4作品の視聴経験あり
- シン・ゴジラは100回ブルーレイで観た
- ゴジラ検定中級を所持(上級は未開催)
- 中小企業のアトツギ
という一定のゴジラ教養を備えたアラフォー男の視点で、ゴジラマイナスワンを解説していく。
ネタバレは極力避けているので鑑賞迷ってる方も一読頂ければ幸いである。
参考:これまでのゴジラ記事
目次
ゴジラマイナスワンを一言で表すなら、昭和版シン・ゴジラ
シン・ゴジラは庵野秀明監督のオタク気質を反映した徹底したリアル路線の作品。初見の衝撃がすごすぎて、ブルーレイを息子と100回位視聴した位だ。矢口蘭堂のような男に私はなりたい。
もはやこれを越えるゴジラ作品なんて出ないんじゃないか?と山崎貴監督のゴジラが発表された際も至極冷ややかな目で見ていた。ところが蓋をあけてみたらドッコイ!シン・ゴジラの完成度を超えてくるじゃないか。すまぬ山崎貴監督、映画版ドラクエの評判で完全に油断してたよ。
このゴジラマイナスワンという作品を一言で表すなら「昭和版シン・ゴジラ」
さらに掘り下げて表現すると
シン・ゴジラをベースに、ALWAYS 3丁目の夕日と永遠のゼロを融合させ、ギャレゴジを少しまぶした感じである。
アトツギの立場で観ると刺さりまくる
私自身中小企業のアトツギなのであるが、この映画を観ていて非常に刺さる部分があった。
物語にアトツギは出てこないのだが、登場人物の置かれた状況が妙にハードシングス系アトツギの状況とシンクロするのである。
ハードシングス系アトツギとは、業績や事業基盤がボロボロという理不尽な状況下からニューゲームが開始される中小企業の跡継ぎの事だ。
貧乏くじは誰かが引かねばならない(ネタバレ少しあり)
シン・ゴジラの「ヤシオリ作戦」は政府主導であったため人員動員における強制力や死亡時の遺族保障も充実していたであろう。世界中の科学力を結集することである程度の成功目算があった。
一方ゴジラマイナスワンの中盤以降、民間有志によって立案された「わだつみ作戦」は成功する保証も、命を落とした後の遺族保障もない。実際そんな貧乏くじ引けるかぁと離脱する人もいる。
そんな待遇が思わしくない中でも、誰かが引かなきゃいけない貧乏くじなら、俺たちがやるしかないと奮い立つドMの人たちもいる。そういう奴らは例外なく格好いい。
そして彼らが、算盤弾いても割が合わない状況下でも、経済合理性を無視し茨の道を選択したハードシングス系アトツギと重なるのである。刺さらないわけがない
このあたりで私の涙腺は3度目の決壊を迎えてしまった。不覚にも怪獣映画で泣くことになるとは。
置いてきた宿題は時を経て眼前に出現する
ゴジラマイナスワンの主人公、敷島は戦時中2度戦う事から逃げた。それで逃げ切ったと思いきや、戦後ゴジラの来襲により戦わざるを得ない状況に直面。覚悟を決めて出撃するまでの心情や表情の変遷が実に繊細に表現されていた。
誰しも辛くて逃げ出したり避けてきたことは少なからずある。私の場合、新卒で入ったベンチャー企業でドブ板営業職してたけど辛すぎて転職。以来営業という仕事が超トラウマで逃げていた。
けど不思議なことに40年前後生きていると、向き合わざるを得ない状況が、やり残した夏休みの宿題の如く出てくるのである。
去年家業で売上の30%以上を占める顧客と取引を打ち切った際、逃げていた新規開拓営業に臨みなんとか突破口を切り開いた。そんな過去の辛かった思い出が急に去来してきたため、物語前半で2度涙腺が崩壊してしまったのである。
できることは全部やるんだ
物語の終盤戦に出てくるこのセリフもなかなか突かれた。自身が経営の当事者側になると練習フェーズなんてなくていきなり本番なのである。特にハードシングスな状況下だと、ちょっと手を抜いておくかなんてできず、すぐ取りかかれることはやり尽くして天命を待つの繰り返しなのだ。
まとめ
上映時間の約2時間はひたすら瞳孔が開きっぱなしであった。怪獣映画ではあるが子供やゴジラ好きだけでなく、酸いも甘いも噛み分けてきた大人に鑑賞してほしい。
ゴジラシリーズ全作品観た私が言うので信じてほしい。
今日の一句
”涙腺を 壊すゴジラは マイナスワン”
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