地域おこし協力隊になれなかった男の3年後

気がついたら7月で会社員を辞めて丸3年経ってました。(6末退職)

最後の上司との相性が最悪すぎて、1年我慢したけどこりゃ時間のムダじゃんと思い転職先を探したものの特に心ときめくものはなく。

さらに視点を広げて探したところ、地域おこし協力隊という面白い制度を発見。で広島のある自治体の募集に応募!

内定頂いたんだけど、奥さんから「離婚してそこに行くか・家族と一緒に暮らすか」という究極の選択を迫られ断念したのが2016年6月18日。

既に退職願は提出済み。晴れて?子連れニート生活がスタートしたのが今から3年前だったのです。

今回は完全見切り発車だったけどなんとか自営業・フリーランスとして生き残った男が3年という節目を振り返ってみたいと思います。多分思ったまま書くのでまとまりないうえに、特にキラキラした内容はないので予めご了承下さい。

本当に空白状態だった3年前

というわけで当該地域に足を運び現地調査&議員さんにヒアリングを重ねるなど相応に熱を入れていた地域おこし協力隊への道も断たれ、アテにしていた収入源が消失。

ちなみに当時のブログ収入は4,017円/月。生活の足しになんて全くならないレベル。完全に先が見えないお先真っ暗状態。

そして家族は妻・息子・そして当時妻のお腹の中にいた新たな生命。

そう、当時ほとんど前例がなかった子連れニートという道を歩むことになったのです。

己のプライドを捨てて妻の扶養に入る

子連れニートが生き残るためにまず防御力を高めることにしました。つまり余計な支出を極力抑えるため、会社員だった妻の扶養に入ったのです。

男女平等社会とは頭では分かっていたものの、いざ自分が妻に養われるという立場になるのはやはりプライド的に受け入れ難いものがありました。

とはいえ背に腹は変えられないので、何かしらまとまった収入が発生するまでは法律上妻の支配下になることを決意。

お陰様で国民年金と健康保険という地味にHPを削り取られる支出を抑えることができました。実際扶養に入ってみると、余計な支出ストレスから解放され次の事を考えるのに集中できるのでとても良い選択だったと思います。結婚は最大のセーフティーネットと身をもって感じたのでした。

ちなみに扶養に入ると、保険証に「この人扶養されてるYo!」と分かるマークが記載されているため、たまに歯医者行く時メチャクチャ恥ずかしかったです笑。でも大丈夫。だんだん慣れてきて鋼の心が身につきます。(これも修行だ!)

まずは身内で仕事の実績を積み上げた

会社員時代は相応に貯蓄していたことに加え、住居は安い賃貸&前述の通り妻の扶養に入り固定費は抑えられられていたため、とりあえず何もしなくても2年間は家族を維持できる体制ができました。

しかし収入といえばショボブログが稼ぎ出す月数千円のみ涙。このままではジリ貧だという状況下、自営業をしている妻の実家よりHPリニューアルの依頼が入ってきました!(多分相当心配されてたんだと思う)

企業のHPリニューアル案件なんて手がけるの初めてだったんですが

  • ショボいとはいえそれなりにアクセス解析方法を知っていたこと
  • ワードプレスイジれる最低限の知識は持っていた
  • 前職販促部門に得たマーケティング経験

を活かしたことで、このリニューアルが思いの外成功。今では営業しなくても毎月10-20件問い合わせが入ってくるように(妻の実家に)。

他にも大学時代の先輩が起業した会社でWEBの事分かる人が全然いないからという経緯で手伝ったら、アクセス数が8ヶ月で10倍以上になったなんてことも。(元がショボかったというのもあるが)

明日どうなるやらわからない不安な日々の中、会社という看板・肩書を介さず誰かの役に立ち、対価を頂けたことは大きな自信になりました。

またはじめに身内相手に仕事をするのは、コミュニケーションの取りやすさ・ある程度失敗に対して寛容という点でいい選択肢だったなと思います。(その代わり安いけどw)

仕事は地道な積み上げの結果入ってくる

会社員時代、仕事の依頼量は知名度・SNSにおけるフォロワーの多さ・ブログのアクセス数で決まると思っていました。

が私の場合、日々の顧客満足を地道に積み上げた結果、人づてに紹介で得るというパターンがほとんど。(もちろんサイト経由もありますが全体からすると小規模)

いくら情報技術が発展しても、実際の人となり・仕事に取り組む姿勢・情熱といったアナログな部分が重要なんですね。

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月次変動はあるものの地道なことの積み重ねだった

これが分かってからというもの、Twtterで短期間でフォロワーを集めまくって収益化を目指す人々を全く信じれなくなりました・・・。胡散臭すぎる。

地道is最強。

顧客目線に立っていれば間違いない

突出したスキル・資格・肩書があれば収入は勝手に入ってくると思ってました。(わかりやすい例だと弁護士とか)

しかし実際は顧客目線に立つことが一番重要でした。

例えば「自己メンテナンスできて集客できるWEBサイトを安価に早くつくりたい」という要件であれば、ReactやらVueといった最先端の技術・フレームワークを使わなくても、ペライチ使ってページ構成にパワーを割いたほうが断然いい結果になるし喜んでもらえるわけです。

私は突出したプログラミングスキルを持っているわけでも、カリスマ性を持ったインフルエンサーでもありません。

それでも3年間生き残ってこれたのは顧客目線に立ち本当に必要なことだけを提案できたからだと思います。

会社員時代の経験はフリーランスで大きく活きた

会社員時代に当たり前だと思っていた事がフリーランスで大きく活きる事がありました。

  • 提案・打ち合わせ資料をA4もしくはA3用紙1枚にまとめる技術
  • パワポ・エクセルを駆使してわかりやすい資料をつくる技術
  • エクセルピボットテーブルで効率よくデータ分析する技術
  • 会議の段取り・仕切り

スキルとして見えにくい部分ですが顧客対応時に思いの外評価されます。

こういった知識を地道に優しく教えてくれた前職最初の上司Kさん(今は社長!)には今でも感謝です。

「新卒フリーランス」という言葉が流行ってますが、もし会社員になれる選択肢があるなら1度経験しておくことは無駄ではないと個人的には思います。

時間の切り売り状態にハマった

一時期顧客の無理な要望に応えるためにひたすら手持ちの時間をフル導入し対応していた時期がありました。

まぁ負荷に伴って収入もそれなりに増えるのですが、全く幸福感が得られないんですね。

あぁ自分はただ時間を切り売りしていただけなんだなと。これじゃあ生活残業している会社員と何も変わらないじゃないか。

時間こそフリーランスの最大資源なのに・・・。

そこに気づいてからは、業務範囲を縮小してもらいました。心の平穏と収入のバランスって超大事ですね。

収入先を分散させるために常に実験・挑戦した

特定のどこかに依存せずとも自立できるよう収入源の分散化にはかなり心を砕きました。1つだけに依存してしまうと「断る」という選択肢が消失し精神衛生的によろしくないからです。

現在は複数収入源があり、どれか1つポシャっても他で頑張ればカバーできる体制にはなっています。

また、常に新しい柱が作れるよう自分が興味関心持てるテーマをベースに常に実験を重ねました。実際けっこう失敗してます笑

例えば、趣味が株主総会に行くことなんですが、レポ記事も何度かバズったことあったので

週刊東洋経済・週刊ダイヤモンド・日経ビジネスなど著名な経済雑誌に寄稿の打診をしてみたのですが見事にスルー。今となってはいい思い出です。(結構凹んだ)

ブログは面白い人達とつながる触媒となった

会社退職時はわずか4,000円ちょいだったゴーヤブログ収入でしたが、現在はそれ単体では生活できないものの、新しい事を実験するための投資原資として機能しており助かっています。

ただ一番良かったのは、考え方や興味関心が似ている面白い人達とつながる触媒としての機能。会社員時代友人なんてほとんど増えませんでしたが、ブログを通じて出会った人々は人生をとても豊かにしてくれています。(ブロガー・youtuber・水耕栽培・ドローンなど)

昨今働き方改革の流れから副業としてのブログが注目されていますが、収益ばかり追い求めるブログは途端につまらなくなるしお金目当ての人しか近づかなくなるので、バランスが崩れないよう今後も気を配っていきたいと思います。

エンジニアを志すのは辞めた

会社辞めた直後は「時間と場所に制約されない働き方へのあこがれ」もあってプログラミングスクールに通ってました。1校目にどんでもないスクールに騙されたものの、2校目のDICで学び直し学内コンテスト(デモデイ)で優勝する成果を得るほどパワーを注ぎました。しかし最終的にITエンジニアの道に進むことは辞めました。

というのも技術を追求するよりエンドユーザー側に近いことを考えることのほうが楽しいと思ったからです。

またエンジニアとして就業した場合、時間単価の良いアルバイト感覚で働いてしまいそうな気がしました(あくまでも私個人感覚)。そんな心持ちで会社に入っても受け入れ側に失礼だし、自分が受け入れ側だったらそんなやつスーパー嫌だし、割り切って働くのが嫌で会社辞めたのにまたアルバイト感覚でやるのは本末転倒。

加えて微細ながら自営業の方で売上が立つようになってきたのでそちら育てる方にシフトすることにしました。

会社員をやめる→プログラミングスクールで騙される→まともなところに入り直して再起→無事エンジニアとして就業

という流れがハッピーエンドでいいんじゃねという葛藤もありましたが、最後は自分の声に従いました。

ただプログラミングスクールで学んだことは全く無駄ではなく、本業のWEBマーケティングの仕事をする上で深いところまで踏み込めているため、提案できることの幅が広くかなり役立っています。

フリーランスという働き方と家族

私の生活も変わりましたが家族も変わり始めました。

妻も会社員辞めちゃった

育休産休も充実していた大手通信会社で働いていた妻が、突如会社を辞め、看護士を目指す大学生になってしまいました。

息子が鼠径ヘルニアで入院した際、ほかに長期入院している子供たちを目の当たりにして、直接人の役に立てる仕事に就きたいと思ったのかきっかけ。そして育休中に受験勉強し受かってしまったのです。

幼児2人に加えて突然大学生までも養うことになり当然家計的には大インパクト。当時大喧嘩しましたが、妻の強い意志に根負けしました・・・。まぁ自分も好き勝手やらせてもらってるしなぁ~(遠い目)

安定した職場環境で定年までバリバリ働くとずっと言ってた妻がこれほど思い切った決断をするとは思いませんでした。私の影響でしょうか・・!?

そして快適な扶養生活にも終止符が打たれたのです笑

子供との時間が増えた

フリーランスになると時間の融通がとても効くので、保育園の送迎や夕方早めに帰って子供たちと遊ぶなど接点が多くなりました。

会社員時代は朝7:30には家を出て、惰性で残業し毎日20-21時頃に帰る生活リズムだったので、それと比べるとだいぶ変わったと思います。

子供がいることで生活リズムが維持された

「子供いたのによく独立できたね」とよく言われるのですが、振り返ると子供たちがいたから成立したという一面も。

なぜなら

「朝保育園に送迎するため起床し、夜はお風呂に入れて一緒に寝る。」

子供基準で過ごすことで生活リズムが乱れないから。

もし独身だったら規則正しい生活を送るのに支障をきたし、身を持ち崩していたかもしれません。

失敗しないことよりも失敗を立て直す力が大事

会社員時代の私は失敗することに対し極度に恐れていました。石橋を叩きすぎるくらい調べまくり、結局そこに時間をとられて何もしないみたいな。

けどフリーランスになり何度も失敗して思うのは

「予期せぬ失敗が必ずどこかで発生する。そこを避けるよりも見越してリカバーできる力の方がもっと重要」

という事。このマインドが身についたことがフリーランスになってからの大きな収穫でした。

辞めた直後プログラミングスクールで54万円ボッタクられた事は、今思い返すといい経験だったかもしれません。(運営元は今でも絶対許さないけど)

地域おこし協力隊になれなかったけど濃い3年間だった

残念ながら地域おこし協力隊にはなれなかったけど、手探りであがいてたらなんとか東京で3年間生き残れました。

全くゼロ状態から売上を作らないといけない状態に身をおいたことで、仕事を創出する力がついたように思います。

正解はない。選んだ道を正解にしていく。

振り返ると3年間でターニングポイントは2回ありました。

  • 妻の許可が出て地域おこし協力隊になっていたら
  • 順調にITエンジニアになっていたら

多分それはそれで面白い人生になっていたでしょう。

重要なのは正解を選ぶ事じゃなくて、考え抜いて選んだ選択肢を正解にすること。

これからも多くのターニングポイントが出てくると思います。その時も奢らず、心の声に従い、選んだ道を正解にする心持ちで向かい合いたいと思います。

今日の一句

”正解は 作ると知った 3年間”

【さらば住友】8年間勤めたホワイト企業を退職し、子連れニートになります。

2016年7月4日

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