目次
本多静六という人
その人の名は、本多静六。
私の財産告白“>
(出典:amazon)
- 日比谷公園
- 明治公園
- 鶴ヶ城公園
- 大宮公園
- 鶴舞公園
- 大濠公園
など日本中の著名な公園をプロデュースした造園学の権威でありながら
投資家として莫大な財産を築きあげた、非常にユニークな人物です。
今回は、この本多静六 という人物を紹介します。
【1】 尋常じゃないアウトプット量
イケダさんといえばブログやtwitter、はたまたnoteと 文字のアウトプット量が尋常じゃないこと(多い日で1万字以上!?)で有名ですが
本多静六さんは、25才の時から
「毎日14行32字詰めの文章、しかも 印刷価値 のある文章を1枚ずつ、50歳まで、必ず書く」という行を行っています。
(出典:木曽山林資料館)
すらすら文字が打ち込める PCのない時代 に、スゴくないですか!?
(3/13に開催された久喜マラソン後に立ち寄った本多静六記念館にて撮影)
この日々の継続したアウトプットの結果、生涯で書いた本はなんと
376冊!
どえりゃあ量です。
内訳:教養書53冊、林学書58冊、庭園関係126冊、旅行記104冊など
(出典:知のソムリエ)
しかも内訳を見ると、専門書が多数。
特に、”森林家必携” は明治37年(1904)に発行されて以来、現在 73版 を数えるほどの超ロングセラーになってます。
重版出来すぎ!
【2】 ストイックな秀才
イケダさんといえば、世界史を中心とした超ストイックな勉強によって 私大難関の早稲田政経に合格した秀才ですが
本多さんも独自に編み出した
“エキス勉強法”
を使い、東京山林学校(のちの東京大学農学部)を主席で卒業。
4年間のドイツ留学も2年間で修了させてしまいます。
ちなみにエキス勉強法とは・・・
毎日学校で学んだことを、数分の1ないし数十分の1に要約し、それを書き出したものを常。にポケットにしのばせて歩きながら暗唱する方法である
(出典:本多静六『私の生活流儀』)
ふたりともストイックすぎるぜ!
【3】 あっと驚く移住経験者
本多静六は、明治時代(1890年)では超珍しいドイツへの留学をしています。
しかも船で!
そりゃ飛行機ないっすからね笑。
到着まで 1ヶ月半 かかってます。長っ!
【4】 蓄財の天才
本多さんは、毎月収入の25%を意地でも貯蓄に回す
”本多式四分の一貯金法”
を駆使して、原資を貯め、
専門・得意分野に投資した結果
現在価値にして 約100億円 の財産を築いてしまったのです。
本多さんいわく
とにかく、金というものは雪達磨のようなもので、初めはホンの小さな玉でも、 その中心になる玉ができると、あとは面白いように大きくなってくる。
(出典:私の財産告白)
とのこと。
かくゆうぼくも、本多式四分の一貯金法を実践し、仮に働かなくとも2年間は生きていける金融資産をつくることができました。
ありがとう静六さん!
【5】 稼いだお金はドカンと寄附
本多静六さんは、1代にして築きあげた100億円もの山林を中心とした財産を
なんと晩年ほとんど寄附しちゃったんです。
この寄付をもとに創設された育英基金 ”本多静六博士奨学金制度” を利用した人は
今まで1,900人以上にのぼるようです。
ちなみに家族には最低限の財産しか残さなかった模様。
「正直なところ、私はこれまで時折、もし祖父が財産を遺してくれていたら、と考えたことがあります。
でも、社会のためでなく身内のために財産を使っていたら祖父の名声はなかったでしょうし、私たちも
ダメになっていたかもしれません。私たち一族は、祖父が亡くなったあとも、相続で揉めることもなく、
仲良く暮らすことができました。美田をあえて残さなかった祖父にいまとなっては感謝しているのです」
(出典:マネーの哲学・・・本多静六の孫 本多健一氏談 )
こんな 気持ちいいお金の使い方をした人 が今までいたのか!
本多静六を知った時、目からウロコが落ちるほど感銘をうけたことを覚えています。
ぼくと本多静六との出会い
本多静六を知ったのは、新卒で入った会社が激務過ぎてわずか1年で辞め、
今の会社に転職してお金の大切さを身にしみて感じていた時に、
BOOKOFFで出会ったこの本でした。
前述したように目からウロコの生き方に感銘をうけたのですが、意外と現代では知られていない・・・
もっとこの偉大な人を知ってもらいたくてこの記事を書きました。
久喜市には本多静六記念館がある。
ちょっとでも本多静六に興味を持った方は是非
に足を運んでみてください。
▲来館者の感想▲
また久喜市HPには小学生にもわかるように編集されたPDFもありますので必見!
今日の一句
”知ってほしい 明治の偉人 静六を”
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